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「インターネット自律史」

カテゴリー: インターネットの安心・安全をめぐる動き / その他

古き良きパソコン通信時代

インターネットの変遷を振り返った時、いくつかの時代に区切ることができる。パソコン通信時代、インターネット黎明期、ブロードバンド時代、コミュニティサイト発展期などである。ここでは過去を振り返りながら、今コミュニティサイトで問題になっていることが、その時代には問題として提起されていたのか、またそこから見えてくる解決方法を探る。

ネット上の"自律史"を振り返る

インターネット黎明期と比べれば、トラブルの種類が増え、人の考え方も大きく変化している。その時々の情勢を考えれば、取りうる最善の策は講じられてきたのではないだろうか。

今、改めてインターネットの自律史を振り返り、個々の時代にどのような事件が起き、どのような風潮でどのような解決方法が取られたのか、その対策に問題はなかったのかを確認してみたい。また、一旦振り返ることで、今後対策の必要がある課題を乗り越えるヒントが導きだせればと思っている。

勝手な分類で恐縮だが、便宜上下記に分けることにする。

  • パソコン通信時代(1980年代後半~1997年頃)
  • インターネット黎明期(1995年頃~1999年)
  • ブロードバンド時代到来(2000年~2004年)
  • コミュニティサイト発展期(2005年~2009年)

インターネット黎明期を振り返る上で、パソコン通信時代はどのように対策が講じられていたのかを把握する必要がある。そこで、パソコン通信時代からの流れで検証してみたい。

パソコン通信の仕組みと環境

パソコン通信は、現在のインターネットと異なり、運営者(運営会社)間の横の繋がりがなく、個々の運営者が設置したホストコンピュータに接続した者同士で、文字による交流ができる仕組みだった。

パソコン通信時代の後半でこそ、自動で接続するソフトが存在したので、技術的に明るくない者でも簡単に利用することができたが、パソコン通信が一般に利用され始めた1980年代後半においては、技術的な知識を持っていないと接続が易しくない状況にあり、独特の文化が醸成されていった。

パソコン通信の世界は、運営者が直接管理するコンテンツ以外に、テーマ毎に掲示板群やチャットなどが設置され、利用者が交流できる形となっていた。一言で説明するとすれば、サークルという表現が近いのかもしれない。「テーマ毎にの掲示板群やチャットなど」をパソコン通信大手のニフティサーブでは「フォーラム」、PC-VANでは「SIG(シグ)」と呼んでいた。テーマ毎に管理者(ニフティサーブは「シスオペ」、PC-VANは「シグオペ」)が置かれ、管理者の考えでそれぞれの管理がなされていた。

「フォーラム」や「SIG(シグ)」のジャンルには、政治経済といった真面目なテーマや、スポーツ、ホビーなどの趣味のテーマもあり、利用者が好む「フォーラム」や「SIG(シグ)」に入り、掲示板やチャットなどで交流することができた。

パソコン通信時代の背景

パソコン通信は、今振り返れば当時としては画期的なサービスだった。実際に会ったことがない人と交流し、深い議論を交わすなど、それまでにはなかった場が提供されたからだ。

新しい場ができれば、これまでの常識が通用しないこともある。人と会い、面と向かって意見を交換すれば、交わす言葉だけでない空気感も共有できるから、言葉単体では不足する発言者の意図が汲み取りやすい。一方で、パソコン通信から始まったデータ通信上の意見交換では文字だけのやりとりとなり、意図する内容を正確に伝えることや受け取ることは大変難しくなった。同じ文字列でも読む人によっては異なる捉え方をするケースもあるから、発言者においてもより慎重な発言が必要となった。

人は十人十色の意見を持っているから、自分の意見を押しつけるだけではなく、他者の意見を尊重し慎重に交流や議論を重ねなければならない。特に顔を合わせずに文字だけで交流すれば、意図しない意味に取られ不愉快な思いを与えることもあっただろう。交流が深くなればなるほど、議論が深まれば深まるほど、白熱しすぎることが原因となったトラブルが発生した。

現在ネット上で多く発生している「匿名を隠れ蓑にしたトラブル」は、それほど多くなかった。なぜなら、当事者同士での連絡が容易だったからだ。パソコン通信では、書き込みをしたIDが明記されていたため、そのID宛てにメッセージを送ることが可能だった。また現在と異なり、ある程度交流があった集まりの中では、住所氏名などを普通に交換していた。思い返してみれば、私の子どもの頃は学校の名簿が配られ、全員の名前、住所、電話番号、親の職業まで書いてあったわけで、この当時大学生だった私の大学でもクラス名簿が配られていた。住所を他人に教えることに抵抗が少ない時代でもあった。

子どもの利用者数について詳しくは分からないが、子ども単独での利用は多くはなかったと推定される。なぜなら、パソコン通信に係る費用が子どもにとっては少額ではなかったからだ。パソコン通信を利用するには、電話会社への通話料金とパソコン通信運営会社への利用料金を支払う必要があり、通話料金は市内にアクセスポイントがあるケースで3分10円、パソコン通信の利用料金が1分10円程度の料金になっていた。アクセスポイントも限られていたから、例えば通話料金が40秒10円というようなケースも少なくなかったであろう。仮に1時間使えば、最低でも800円かかる計算になる。その上、郵送での申し込み時には銀行口座やクレジットカードの入力、押印が必要であったため、親の承諾なしに申し込みをするのは困難だった。慣れてくれば、ソフトを利用して新規の書き込みだけ取得し、オフラインで読むこと(パソコンにダウンロードした書き込みのデータを通信切断後に読むこと)も可能なのだが、そこまで慣れるのに相応の費用は要したと推察される。親がパソコン通信を使っていた家庭であれば、子どもが使うことも可能であっただろうが、電話料金が1万円以上かかることもザラではなかったことや、当時の電話料金に対する感覚(現在の携帯電話のように万単位で支払うことが普通ではなかった時代)には高額に映ったことから、子どもが利用できたとしても、家庭内で利用時間が制限されていたと推察される。

パソコン通信大手ニフティサーブでの自律について

—サービス開始当初のフォーラム数や、管理方法はどのようにされていたかなど、当時の状況を教えてください。

伊藤:サービス開始当初は47のフォーラムがあり、1人1つずつ、47人の管理者がおりました。私が、入社したのは社名もエヌ・アイ・エフだった88年頃でしたが、その頃、フォーラムの数は90を超えて100個目が出来るか出来ないかという時期でした。最終的には(ピーク時に)およそ700代後半から800代ぐらいにはなったと思います。その時のシスオペの数は500人ぐらいでした。1人で関連のある複数のフォーラムを担当することもありましたので、フォーラムの数よりシスオペの人数の方が少ないです。

—管理が放棄されていたフォーラムもあったのでしょうか?

伊藤:管理が放棄されていたフォーラムは1割なかったと思いますよ。ユーザーのアクセスが少ないフォーラムに関しては、ニフティからシスオペに聞いてみたり、シスオペにコンタクトがとれなければシスオペを替えていたりしました。

—ユーザーのアクセスが少ないとは?

伊藤:テーマ的に参加する人が少ないということですね。もともと。企画書を提出してもらってお話を伺い、それならば規模がどのくらいになるだろうといったことを確認し、契約をしてから運営をしてもらっていました。シスオペは自分の意図を持って運営していましたね。

—いわゆるレンタル掲示板の運営方法とは全く違うんですね。

伊藤:全然違いますね。

—盛り上がっているフォーラムの傾向は?

伊藤:文化系のものよりもアニメ、ゲーム、コンピュータ関係が活発でした。いわゆるおたくの人たちがも多く、テクニカルに明るい人たちが集まっているフォーラムが活発でした。もちろん本関係、映画など娯楽に関しても人は集まってきました。
丸橋:活発ということに関しては、情報提供が活発なところが活発かと言えるかというの「議論」もあるんです。お役立ちの紹介だけで議論が活発化していないフォーラムもありましたし。

—インターネットの利用者とパソコン利用者が重なったのは、96、97年頃だったと思っていますが、そのころの書き込み数はどの程度でしたか?

伊藤:96年くらいから利用者が重複し始めた感じでしたね。パソコン通信の時の書き込み数はわかりません。推測の域を出ませんが、フォーラムの数は96年当時で700近くあり、フォーラム数の数百倍単位の書き込みがあったと思われます。フォーラム数はその後は、あまり増えませんでしたね。

—いわゆる"パトロール"はしていなかったんですか?

伊藤:もちろんシスオペやサブシス(シスオペのサブ、副管理人)は自分達のフォーラムの発言は全部読んでいただろうと思いますけども、ニフティはフォーラムの議論については全部読んでいませんでしたし、パトロールということもしていませんでした。ニフティサーブ内にパブリックの掲示板があり、社内でそこだけはモニタリングをしていました。

—フォーラムの内容が商用利用されてしまうなど、商用での書き込みについてはどのような対応をとられていましたか?

伊藤:商用利用は原則禁止していました。車好きの人たちのフォーラムで車種やスペックの話をしているのは普通でしたからね(判断が難しいでしょう)。

—プライバシーの概念や著作権侵害についての意識は今より低かったのでしょうか?

伊藤氏:基本的にはフォーラムの中はフォーラムで解決という姿勢でした。シスオペ側で対応できない場合はニフティに相談がきますが、そこまでくるとややこしいものが多かったですね。電話番号や住所などは会員自身が公開していることもありましたね。ただ、当時はもともと同じフォーラム内で仲が良い人達同士が多かったですから個人情報も教えあっていたように思います。

伊藤氏:現代思想フォーラム事件 ※1 のようなトラブルもありましたけど、やはり(フォーラム内を荒らすといったことは)限られた人たちの話だったんでしょうね。著作権侵害はけっこうきましたよ。フォーラムの中からではなく、「これは私が書いたものだ」などといったことが外から来ましたね。著作権侵害の話は今でも同じですけど、判断が難しいんですよ。(著作権については)逆に今よりも厳格だったと思いますよ。フォーラムの時代に、JASRACが管理する楽曲の歌詞を無断で載せた人がおりフォーラム内で(ユーザー同士が)駄目ですよということを警告していました。

—パソコン通信のユーザーは分別のある大人が多かったために、トラブルをユーザー同士で解決していたと思っているのですが、実際はどうだったのでしょうか?

伊藤氏:シスオペが裁くまでもなく、フォーラム会員同士で解決していたと思います。またフォーラム内に未成年者がいた場合にもみんなが啓発していくというのをよく見ました。小中高校生用のフォーラムもありましたし。最終的に"悪さをする人"はフォーラムを出て行かざるを得ないような自主的な働きかけがありました。

—排除された者が新規に別のIDを取ってアクセスすることもあったのではないかと推測していますが、そのような場合どう対応されていましたか?

伊藤氏:複数のアカウントを取ること自体は可能ですが、実際にそういうことがあったかはわかりません。

丸橋氏:複数のアカウントを取ることは、今でもありえますよね。

伊藤氏:他人のIDとパスワードを使って有料コンテンツを利用し、そのIDの持ち主の課金がはねあがるというのはあったし、今もありえる話ですね。

—同じような質問になりますが、誹謗中傷などを行っていた人が別IDでアクセスし、また同じように誹謗中傷を繰り返してしまった場合にはどう対応されていたんでしょうか?

伊藤氏:モニタリングの部隊は別IDでも怪しいユーザーの監視をやっていたのかな?別IDで同じユーザーが出てきても、フォーラム内ではまた、言っているなという程度だったと思います。

—何度も別ユーザーとして入ってこられると、フォーラムの運営に支障を来すと考えられますが、シスオペから問題のあるユーザーの退会要請などがあったりするのでしょうか?

伊藤氏:それはないですよ。基本的にフォーラムの運営の規約を守ってくださいと注意する場合もありますし、最後は退会させることもありましたが、フォーラム上でニフティサーブを退会させるまでの権限は持たせていませんでした。大体、そこまでいかないですね。

—シスオペがユーザーから批判されるような運営方法を行い、フォーラムの権限を剥奪することはあったのですか?

伊藤氏:このまま(フォーラムのシスオペを)継続するのは無理だという場合には、ありました。問題があったら今でいうところの炎上する騒ぎになっていました。一フォーラムの問題ではなくなりニフティに苦情がきまして、シスオペと会談し、このままではだめだということでその方との契約を解除することはありました。けれど、基本的にはシスオペを代えたり、のれんわけという形であったりとフォーラム自体は継続させていました。運営者がいなくなってしまいニフティの社員が代理していたものもありました。

—本日は貴重なお話をお伺いさせていただき、ありがとうございました。

パソコン通信時代の世界

話を聞いて意外だったのは、この当時は自由奔放な世界が広がっていたのだろうと思っていたところが、そうではなかったこと。各シスオペの独自な判断で"自律"した空間が維持されていた。掲載者に連絡可能なパソコン通信時代は、半匿名とも言える状態だったから、現在よりも責任を持った発言で占められていたのだろう。また、不適切な発言があれば注意する人(あるいはシスオペ)がいて、いわゆる「健全」な状態が保たれていたと思われる。大げさに言えば、古き良き日本がそこにはあったのかもしれない。

※1 現代思想フォーラムの会員(原告)が、他の会員(会員被告)により名誉を毀損されたとして、会員被告、シスオペおよびニフティに対して損害賠償を請求したところ、会員被告については損害賠償責任を認めたが、シスオペおよびニフティについては削除義務違反が認められないため責任が無いとした裁判(東京高等裁判所平成13年9月5日判決)

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