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「コミュニティサイトのあるべき姿」
千葉大学教授 藤川大祐氏インタビュー

カテゴリー: 情報モラル・リテラシー教育 / インターネットの安心・安全をめぐる動き

ネットの新たな文化における次世代育成が急務!

コミュニティサイトの現状は「繁華街」であると言う千葉大学教授の藤川氏は、このまま規制するばかりでは日本の子どもは国際社会では生き残れないと警鐘を鳴らしている。ネット社会の利点や課題、教育についてコミュニティサイトのあるべき姿と言うテーマで話を聞いた。

千葉大学教授 藤川大祐氏

藤川大祐氏
千葉大学教育学部教授(教育方法学・授業実践開発)/学長特別補佐(2010年5月~2011年3月)。
メディアリテラシー、ディベート、環境、数学、アーティストとの連携授業、企業との連携授業等、さまざまな分野の新しい授業づくりに取り組む。
警察庁「バーチャル社会のもたらす弊害から子どもを守る研究会」委員(2006年)、千葉県青少年健全育成計画策定委員会委員長(2006年~2008 年)、千葉県青少年を取り巻く有害環境対策推進協議会委員(2007年~)、文部科学省「ネット安全安心全国推進会議」委員(2007年~)、NHK教育テレビ「伝える極意」番組企画委員、NPO法人企業教育研究会理事長、NPO法人全国教室ディベート連盟常任理事、日本メディアリテラシー教育推進機構(JMEC)理事長、安心ネット作り促進協議会 コミュニティサイト検証作業部会 主査等をつとめる。
2005年、千葉大学ベストティーチャー賞を受賞

藤川大祐先生は、メディアリテラシー教育に取り組まれる中、主催、参画されている研究会などで、コミュニティサイト上に関わる課題について多くのコミュニティ運営者と共に考え、協議してこられました。ご自身もブログやTwitterで情報発信をされています。

教育や学校制度のみならず、コミュニティサイト運営にも精通され、コミュニティサイトのあるべき姿のテーマを考えた時に、初めにインタビューさせていただこうと思い浮かべた方でした。教育者、保護者、サイト運営者それぞれについて踏み込んだお話をしていただき、大変有意義でした。どうぞ皆様もお読みになってみてください。

(1)コミュニティサイトの現状

—ここ1、2年、青少年に対する条例等の中でインターネットが規制されるものが出てきています。この規制について、また、コミュニティサイトの現状についてどのように捉えていらっしゃいますか?

大半の青少年は、コミュニティサイトをきちんと使っているんですね。話題になるのは、利用者数が多いからなんです。利用者が100人であれば1人2人、おかしな使い方をしても話題になりませんが、100万人1,000万人という桁の会員がいるサイトの場合、数としては、多い印象になるということなんですね。青少年の犯罪、非行の話を見ても、今、ネット上で起こっているトラブルは少ないと考えています。文部科学省(以下、文科省と略)の調査結果 を見ても問題のある投稿は、非常に少ないです。

—ここ2年くらいのサイト運営者側の対策も効果をあげているのでしょうか?

もともと、そこまでトラブルは多くはなかったのかもしれません。主要なサイトでは露骨に連絡先を載せるとか、不適切な出会いを誘引する投稿についての対応はされていて、見える範囲には変な書き込みはなくなってきています。

ただ、だからといって完全にきれいで安心、安全であるということではなくて、東京で言うと、渋谷、新宿のような繁華街の雰囲気なのではないでしょうか。普通、小学生にいきなり渋谷の街なんか歩かせないですよね。コミュニティサイトで何かを発言すれば、いろいろな他者がからんでくる、誘いは必ずあるだろうと考えなきゃいけない。不特定多数の人の中には、おかしな人も必ずいますし、これは当たり前のことです。それをあたかも、小学校の中と同じような安全性を求めてしまうのは誤解があるかなと考えています。人によって、コミュニティサイトとはどういう場なのかについての認識が、かなり違うためこういったことになるんですね。

私は、繁華街レベルで良いと思うんですよ。つまり、繁華街でいきなり変なことをする人は、ほぼいないですけれど、声をかけてくる人はそれなりにいるだろうと。そのくらいのレベルだと思うんですね。コミュニティサイトを利用しない方々は、どうも、子どもが使うからには、100%安全ではないといけないという発想の方が多いので、そのギャップが埋まらない。コミュニティサイトを見る見方についてのギャップが埋まらないということが今の状況なのかなと思います。

—見方は人によって経験値が違うので、すごく差がありますよね。それで実態を把握しようなどといった検討はなされていないように感じています。

検討の場はあっても、互いに対話がないですよね。東京都条例に関わる議論をみていると、こういうレベルの議論が全然なく「EMA認定サイトでも、事件があったじゃないか」という一方的な話になっています。じゃあ、コミュニティサイトはどのようなものであるべきで、大人はどういうスタンスでいれば良いのかという根本的な議論は、議事録を読む限りされてないんですね。それで事件が1つでも2つでも起これば大ごとになってしまう。一部の新聞などは、大きく取り上げられていますよね。教育関係者は教育関係者、サイト運営者はサイト側と、距離があるように思います。

—藤川先生は、その距離を埋めるためにはどうすれば良いと思われますか?

対話が一番大事ですね。安心ネットづくり促進協議会も含め、対話の場が出来てきたことは非常に大きいと考えています。ですから、例えば、サイト監視の体制の話、サイトを利用する子どもの話を聞けば、教育関係者であってもすべてを規制しなければならないとは思わないでしょう。最近では、そういったシンポジウムも開催されるようになってきて、常識的な線は追求できていると思います。しかし、一部では議論もされずに「事件が起きているから危ない」と主張される方もいて、そういう方が、議員だと条例改正が進んでしまうかもしれません。

(2)教育について

—子ども達のインターネットの利活用が、どんどんと進み、Twitter、iPhoneを利用している子ども達もいます。一方で、最近、中学生の携帯電話保有率が全体的に低くなったとも感じており、少し前の時期からすると利用実態が変わってきているのかなと思っています。今後、電子教科書などICTの環境もどんどん進化する状況の中で、教育を含め、どういうビジョンで、大人たちは子どもに接していけば良いとお考えですか?

これは、なかなか深刻な話だと思っています。今までの教育というのは、教科書に書いていることを素直に教えるということをやっていたんですね。教科書に書いてあることは丸呑みせよ、先生の言うことを聞きなさい、そういう教育が基本でした。批判的思考というか、異質な者とのコミュニケーションを避けてきたわけですよ。子どもが質問ばかりしてきたら授業にならないという先生もいるわけですから。既に時代がそういった教育を求めなくなり、社会の要請と学校文化にギャップが出てきたというのが根本的な問題だと思いますね。

ネット社会は、異質な他者とのコミュニケーションをしなくてはいけない社会ですし、批判的に情報を読み解かなければいけない世界ですよね。つまり、学校教育の弱点だったところを子どもたちは身につけなければ、社会の中で生きていけないわけで、この乖離はすごく大きく、簡単には埋まらないと思います。つまり、学校がこの問題にどこまで対処できるかというと、結局、対応は最後になると思います。学校というものは変わりにくいものです。私たちは、それを変えたいということでメディアリテラシー教育を始め、批判的思考を培うものとかコミュニケーションの教育の教材とかプログラムを作っているんですけど、まだまだ主流は批判精神を持たないでほしいという学校文化だと思うんですよ。この壁は厚いでしょうね。

—3、5年後、この状況はどのように変化していくと思われますか?

あまり変わらないと思います。電子教科書などが出てきたとしても、当面、紙の方が使い勝手が良いですし。教材がビジュアルになったり、ノートが電子的なデバイスになったとしても、学校現場でコミュニティサイトのようなコミュニケーションが起こるかと言えばそうはならない。

電子的なものを使うとしても、それで幅広くコミュニケーションさせるのかというと、それはないと思うし、要するに、今のところは、紙だったものがデジタル画面になっていくだけの変化のような気がするんですよ。

—双方向性はないということですか?

ないんじゃないですかね。ニンテンドーDSのソフトが教材になっているようなものをベネッセさんが、出していますけど、ああいうものが、より、大画面でタッチパネルに直感的なものになる程度だと想像しているんですけど。

—電子教科書が話題となり、私の感覚だと紙からデジタルへと変わる、今、そういった時代の変化を背景に、情報リテラシー教育、電子機器を利用しながら教育していく方向性にならないといけないと感じていらっしゃる先生方は増えてきたような気がしているのですが。

変わってはいくでしょうけど...、学校は保守的ですから。社会が、だいぶ変化してから、変わるんですよね。学校が社会に先んじて変わってくことは考えにくいです。変化を学校が牽引する必要はないと思いますし、社会全体の変化が起こってからで良いとは思います。

—文科省の熟議カケアイについて、鈴木寛副大臣にもインタビューさせていただきましたが、文科省が新しい取り組みを推進していくことによって、ずいぶん雰囲気が変わったと感じ、情報教育についての期待を持てたような気がします。

期待はしたいですがね。視聴覚教育とか情報教育とか、ずっと言ってきているわけで電子黒板、デジタルテレビは、かなり学校に普及しているけれども、ろくな使われ方していないと思いますね。紙で良いじゃないかという感じがまだある。それで良いんだと思います。子どもが、本を読むのに電子書籍である必要はないと思うんです。情報機器をコミュニケーションのためには使わないと思うし、コミュニケーションが課題なら話し合いをするべきなんです。コミュニケーションを取る時にメディアはあんまり要らないんです。

学校内でのコミュニケーションの取り方については、「学び合い」という取り組みをしている人達に聞くのはいいかもしれません。上越教育大学の西川純先生が推進しているものです。1学級35~40人の多様な人がいる学級を想定して、ある課題を出して、その時間の中で全員が理解するように学び合うという授業をやっている。この形式の授業を一回だけやっただけでは、うまくいかないわけですけど、繰り返し行っていく中でお互いの違いを理解しながら全員で問題解決していく方法です。

一つの方向として、こういう方向でないと教育は変わらないんじゃないかと思います。まだ、学び合いの手法については理解されていない部分もありますが、私個人は注目しています。

つまり、教育を変えるのは、メディアではない考え方だと思います。今は、一人ひとりが知識を吸収していく方法を取っていますが、そうではなく、集団の中で影響しあい、自分だけではなく、時には利他的にもふるまい、支えあっていきながら、集団の力を高めていくという教育モデルに変えることが重要なのです。そうなれば電子機器は生きてくる。みんなが情報を共有するのに電子機器を使って、情報の送受信、歴史的事象や人物について検索したり、遠隔地の人とつながってみようなどそういうことができてくる。個人で使う分にはあまり面白くないのではと思います。

—ネット上の成熟したコミュニケーションが教育に生かされる手前の時代ですかね?

教育観が変わるのと電子技術が発達するというのは同時並行かもしれない、順番は分からないですけど、教育観が先に変わるのかもしれないですしね。

—まだ、本格的に電子機器が使われる過渡期ということですか?

過渡期にも入っていないんじゃないですか(笑)。教員養成をしていると、厳しいなと思いますよ。教育を学ぼうという学生たちが、学び方について興味もなければ、電子機器にも興味がないんですよ。そもそも教員になろうとしている学生は、これまでの学校の体制、文化が好きだから教育学部にいるわけで。保守的なんです。これまでの学校が嫌いだっていう人がたくさん教育学部へ入学し、教員になれば変わるかもしれません。文科省も変化し、電子機器も進化してきているので、どこかで、一気に変化の波が押し寄せるかもしれない。

うちの研究室は、ものすごくネットを使っており、教育学部の中では完全に浮いている状態ですね。Twitter率は日本の教育学部の中で一番だと思いますよ。

(3)インターネットの良い側面

—ネットの良い面というのは、これからの社会の中でどう活かされていけば良いのでしょうか?

人と人とが、圧倒的なスピードでつながるということですね。以前であれば、一生徒一学生が、専門家や特定の人にコンタクトを取るのは、ほぼ、無理でしたよね。メールで問い合わせることができるようになりましたが、メールではハードルが高い部分があります。今は、ブログがあったりTwitterがあったりしますから。特にTwitterだと気軽に答えてしまうんですよね。答える側も、Twitterで答えることがあまり負担ではないんですよ。今までのネット文化とは大分違い、不思議な文化ですね。

また、人が、ネット上で知識を出すようになってきましたよね。民間企業ではあまりないかもしれませんが、大学の教員、特に研究者は知識を出すことによって人から得るものが多いですし、出したほうがむしろ利益になりますから。学生も自分を表現していった方が就職し易いです。

就職活動は大分変わっていくでしょう。私は、学生たちには普通の就職活動をしないように指導しています。自分がやりたいことをすでにやっている人とつながれば良い訳です。

例えば、ここ2、3日の話をしますと私たちの学生で、ブランディングのある専門家の方に興味を持っている学生がいて、Twitter上で連絡をとり、千葉大学で講演をしてもらうことになったんですね。

そんな風にして、名の通った人を呼ぶというのは、これまで学生にしては難しかったと思うんです。でもそういったように人とつながれば、就職はもっと簡単になるのではないかと思います。情報を集めて自分の価値を高めていけばいいんです。逆に大企業にとっては大変なことですけどね。

そうすると受験も変わってくる。この前、ここのNPOのHPを見て、事務所に来た高校生がいました。もう、そういう事が当たり前になってきたんです。今までは、進学先はブラックボックスだったけれども、高校生から直接アプローチをして、実際、会って確かめてそれで受験するということができますよね。

こういう生徒は、モチベーションが高いので、受験も受かりやすい。どこで学ぶのかというビジョンを持っている学生は、強いですね。だから、受験も変わってくるだろうし、今の段階で、そういった行動に移せる子は先行利益が得られますよね。

—ネット環境として、ケータイを持たせない地域、条例などしばりのあるところ、ないところと地域差がありますね。地域によっては子どもたちがそういったインターネットの利点を活用できない場合がありますよね。

あまりネットやケータイが使われていない地域で、例えば、石川県で所持について規制されているにも関わらず、ケータイを持ったら、有利にはなるでしょうね。ただ、今のところ、条例があったとしても努力義務程度ですから、すべて携帯電話の利用が禁止のところはないわけです。使おうと思えば使えますし、ケータイがなくてもパソコンがあればできますし。基本は自由なのですから。

ただ、そうはいっても保護者の許可がなければ所持できないわけで、かわいそうな部分もあるんでしょうけどね。大きなことをやりたい中学生、高校生にとっては規制されると厳しいですね。

また、ネットやケータイの世界の他に、行き場所がない子は厳しいでしょうね。こういう子たちは、家庭でも居場所がなくて、学校ではストレスが溜まり、そしてネットも使えないんじゃ本当に厳しいでしょうね。中高生レベルではこういう子たちは全体の2割ぐらいを占めているでしょうね。

—居場所がなくなると辛い子もいますよね。

特にこの2割に当たるような、辛い思いをしている子どもたちは大変ですね。元気な子どもたちであれば、一部が規制されたとしても、何かしらどこかしらで発信しますからね。

—そういった辛い子の状況は特に見えにくいですね。

生活水準が低い中高生は増えてきています。公立中学校の先生に聞くと、家庭環境が崩壊して、保護者に連絡がとれないという話はいくらでもありますからね。そういう子たちはある年齢になれば、ケータイだけは持っていますね。そういった環境の方がケータイを持たせる傾向にあります。

このような環境下の子ども達の中にはプチ家出等をする子もいます。そういう時に、安心できるコミュニティサイトがあって話を聞いてくれる、本当に困った時にどこに行けばよいか教えてくれたりすることがありますから。そうなるとライフラインのような役割を果たしていますよね。

(4)コミュニティサイトのあるべき姿とは

—今、コミュニティサイトの会員数が1,000万とか2000万とか、大都市レベルの会員数を集めるようになってきており、都市運営能力に匹敵するようなコミュニティ運用能力が必要になってきています。

コミュニティを設計し運用していく際に、運営会社は社会の全体をみるということが難しいんですね。社会や全体性を考えて運用しているかというと、日々、現場対応しながら後付けしているような感じなんです。青少年の問題を含め、どう考え、どのような方向を目指してくのか、サイト運営会社だけのものの見方では、限界に近付きつつあると感じているんです。運営会社の多くは、技術から出発していることも多く、サービスを立ち上げる時に初めからコミュニティ運営のプロではないんですね。これだけ大きくなってくると、社会全体で考えなければいけない時期なのではないかと考えているのですが、いかがですか。

私自身の原体験はnifty時代のフォーラムなんです。このフォーラムでは、フォーラムごとに、シスオペがいて、それを支えるサブシスがいる。そこで、フォーラムごとのローカルルールを作っても良いし、問題があれば、シスオペがコメントを削除したり、退会処分をしたりというのもありましたし、荒れることもありました。また、裁判になったこともありましたね。あのniftyのフォーラムの運営方法は、コミュニティサイトの運営方法のモデルの一つとしてはあるのかなと思っています。

基本は参加者が自由にコミュニケーションしてもらって良いんですけれど人数が多くなれば、コミュニティサイトもniftyのフォーラムと同様に、ある程度ルールがなければだめでしょう。場ごとにルールがあってルールから逸脱した人には罰則があるというところがないと、その場は衰退していくと思うんですね。

—シスオペは利用者からということになりますか?

現実には利用者ですよね。うまくいっているコミュニティは利用者が運営している所が多いですね。利用者がノウハウを蓄積し、運営していけるほどのリテラシーが上がらなければいけないんでしょうね。niftyの時は、シスオペフォーラムという集まる場がありました。今は難しいでしょうけれど、顔を合わせて議論するような人達がいても良いですよね。

—フォーラム型のコミュニティサイトは、今はあまりないですよね。例えばSNSのコミュニティの管理者に権限をあたえるという感じですかね。

利用者からリーダー、スーパーリーダーのような人たちが出てくれば良いんですよね。会員が1000万人いても、アクティブな人たちは一部でしょうし、キーパーソンは限られてくると思うので、みんながみんなリーダーや管理者にならなくても良いんですけれど、困った時に、あの人に聞けばというのがちょこちょこいて。その人のノウハウが自然に波及していくのが望ましいのではと考えています。

—自律的に自己責任でユーザーが運営していく形ですね。それともある程度、運営者側からの誘導が必要なのか、どちらだと思われますか?

運営者はそのお手伝いができると思います。また、利用者から出てきたリーダーになっている人に運営者が学ぶというケースもありますから。ユーザーも運営者も、熱心な人が集まり、それぞれのコミュニティサイトの枠を超えても良いし。

—コミュニティサイトの枠を超えたいとは常々、考えているんですが、またコミュニティを研究している方々とも対話の場があれば良いのですけれど...。インターネットを語る時、コミュニティ運営という視点が意外と欠如しているんです。たとえば、運営自体を学ぶ場もほとんど皆無ですしね。これからコミュニティサイトを作ろうとする人たちは、人気のサービスと同じようなサイトを技術的には開発できますが、運営ノウハウはなかなか真似できないんです。またコミュニティ運営を学習できる場所が必要なんじゃないかという気持ちも強くなってきています。

今のお話は、ネット固有の問題ではなく、NPOの運営などとも重なりますよね。一度に合意形成することがいかに難しいかとはいろんな場で起きていると思うんですよ。そういう時のノウハウというのは、経験的に蓄積していくしかないんですよね。

—体系的に学ぶ場がないですよね。

みんな経験しながら運営しているんだと思います。

—コミュニティサイトでは、経験に基づいてノウハウを蓄積してきたわけですけど、そろそろ、学問的に体系的な整理が必要な時期だと思います。

これは政治的な話でしょうね。民主主義の意思決定をどうするかという話ですよね。

選挙にネットを使うかというのは小さな問題ですけれども、以前のようにマスメディア中心の合意形成はできなくなってきていますね、一方で、古い地縁血縁もあって非常にややこしいことになっているわけです。こういった時代に民主主義はどうあるべきかというのは政治学の課題だと思いますよ。

国というレベルのコミュニティじゃなくても、会社やNPO、趣味の集まりとか何か、いろんな場でコミュニティがあって、中には地域を超えるものもあり、合意形成が難しいでしょう。

—コミュニティの運営方法についての研究はどの分野でなされるべきだとお考えですか?

日本の文系の学問は弱いでしょうね。つまりテクノロジーは急激に進んでいるんですけれども哲学とか政治学とかというジャンルが、教育学もそうですけれども、なかなか進まない現状があります。

—どうすれば良いとお考えですか?

どうにもならないんじゃないんですかね、まあ(笑)。
コミュニティの運営方法に関する学問は、ネットワーク論というジャンルはありますよね。

—若手の研究者でコミュニティサイトの運営について研究するような人がいらっしゃらないですか?新しい感性でインターネットと社会をとらえるような。

そうですね(笑)。教育学をやっていても人材難だと思いますよ。文系の研究者の育成というのはうまくいってないんですよね。文系は社会の要請に関わっていくべきなのに狭い分野で博士論文を書かなきゃいけないというのがあります。

哲学を研究しても、今、起きている課題について研究しないと意味がないような気もしますけどね。教育学だって大正時代の文献を掘り返してますからね。今のこの社会で、教育をどうしていけばよいのかを考えられる研究者が非常に少ないと感じています。

—コミュニティサイトの未来を考えていきたいとの思いが、私の中にずっとあるんですね。コミュニティサイトのあるべき姿とは、特に、子ども達が参加してくるインターネットの環境とはどのようなものであるべきでしょうか。EMA等のコミュニティサイトの監視体制を審査するシステムが生み出されたわけですが、コミュニティサイトとは何なのか、何を目指すべきか、どうあるべきかという根本的なところを考えている人はまだ圧倒的に少ないのかもしれません。ただ、そこを誰かが示していかなければいけないのかなと感じているのですが。

子どもが使うコミュニティサイトはどうあるべきかという意識は、常に持って頂きたいですよね。これから大人になる子どもたちが利用しているんだと。そうするとやっぱり教育に対するビジョンがもっとないといけないんでしょうね、我々も反省しないと。急激に社会が変化して、親子でもジェネレーションギャップがある中、子どもたちに何をしていくべきかということについて議論も共通理解もないんです。それではまずいと思いますね。

—保護者達同士でもこの事について話し合う場がないですよね。

こんなに、世の中が変わったことはなかったので保護者も自分の親からやってもらったように子どもに接しようとするんですね。今の保護者は、お受験とかが好きな人達ですから。そうすると、子どもには、早くから受験勉強させて良い学校に入れようという人が多くて、私立の教育熱が高いわけです。

けれど、大学などそういう場にいれば分かりますが、良い学校に進学してもあまり意味がなくなってきています。生きる力を身につけないとダメですね。サバイバルの一つの要素がネットを使いこなすということだと思うんですよ。ネットをうまく使いこなせればそれだけで生きていけるということがありますよ。

今の時代に、やりがいのある仕事を見つけなきゃいけないというのは、一番大きいです。そのためには多様な人と関わりを持ち、情報を受け取るだけでなくて、その人達のところへ直接行って、取り組みなどに参加したりしなければなりません。自分のいるべき場所を見つけて、そこにいられるようにアプローチする、貢献することがこれからの生き方だと思うんですけど、多くの場合、保護者はそう思っていないんですよ。

—もう少しすると、ネットやケータイなどかなり使いこなしている保護者の方が多くなってきますか?

変わってくると思いますよ。

—どのぐらいで今の問題というのは解消されていくと思われますか?

どうですかね。安定して生活している人と不安定な生活をしている人と二極化してますからね。ただ、不安定な生活をしている人の方が子どもを生むサイクルが早いんです。だから簡単には言えないと思います。ネットコミュニケーションが当たり前になるのはそうですね、5、10年先には...。mixi世代ですかね。

—mixi世代というと?

今の30歳...、もっと下ですかね、27、8歳。ただ、この世代が結婚しないんですよ、自分の生活が楽しくて。中にはmixiで出会って結婚する人もいますけど。結婚する必要性がどんどん、なくなっています。ですからその世代の大半が親になるって考えると十数年後、彼らが40歳ぐらいかもしれないですね。

そんなに急激には変わらないと思います。10年たてば少しは変わるかもしれませんが、ただ、10年前を考えると保護者の意識はそう変わっていないような気もします。

—最近、小学校のお母さん方の中にはiPhoneを持っている方もいて、電子機器に興味がある方も出てきたように思えますが。

機器を持ってるは持っているんですけど、子どもへの接し方としては、お受験、習い事とこれまでと同じなんですよね。

—私は、かなり変化していくんじゃないかと思いたいですが。

子ども達がいるところも狭くなっているんです。少人数でゲームやって、ケータイ持って友達とばかりコミュニケーションしている。大人にならないままで大学生になりすごく幼い印象を受けます。ネットを介して様々な人とつながろうとすればつながれるんですけどね。そういった事もせずに、恋愛も手近なところですましていますしね。

—ネット環境は、むしろ枠がない状況ですよね?

枠が無くなれば、身近なコミュニケーションが密になります。枠が無いから、どこにでも出かけていくかということではないんですね。また、恋愛の話になるんですが、ケータイがあるためにお互いに監視しあう状況になっている場合もあり、頻繁に連絡とれないと暴力ふるうみたいな話も聞きますしね。恋愛は大変ですよ。盛り上がるのも早いですけど、冷めるのも早い。想いをふくらますということがないんですよね。多少の障壁や、連絡がとれないということがあってもよいとは思いますけどね。

(5)保護者の方、教育者の方へのメッセージ

—保護者の方へ、これからの教育者、コミュニティサイトへの運営者に対してのメッセージをお願いします。

それぞれの方に対しても同じ内容のものになりますが、次世代育成ということを考えていこうということですね。

このまま行くと、日本の子ども達は非常に幼いままで育ってしまう。鎖国をしていれば良いんでしょうが、国際競争の餌食になってしまうかもしれません。ですから、日本人の強み、例えばきめ細かさなどを生かしながらも、批判的に物事を見て、面倒な相手とも適切に交渉ができる、そして異なる意見でもうまくやっていくという国際社会で生き延びる力を付ける教育という当然のことを、そろそろ本気で取り組まなければならない。

国内にいても、ネット社会であれば、このことが非常に重要です。ネットを使いこなすことができれば異質な他者との共生というものの特性を生かしていけるでしょうね。以前の日本のムラ社会であれば、その場の空気を読み、仲良くしていければ良かったわけですけれど、情報化と国際化の波が押し寄せ、ムラ社会と同じようなことができないと警鐘をならしている時にきていると思います。

これからの次世代育成をどのように行っていくかは非常に重要ですね。我々は、これからの国際社会で生きていく子どもを預かっているんだと認識しないといけません。我が子だけを勝ち組にしたいという考え方ではいけないんですね。子どもたちをみんなで、預かっているという意識を持たないといけない。

保護者も視野を広くし、いろんな人と関わってほしいです。子どもは親の背中を見て育つのであって、世のため人のために生きていることをちゃんと見ています。他の子を蹴落してまでも我が子だけを、という姿勢を見せるよりも、自分が、人とつながって生き生きしている姿を見せることが親の役割ですよね。

サイト管理者に対しては、子どもが成長できるようなサイトにしていただくということでしょうね。子どもが成長するためには、実力よりも、少し上のハードルを持ってきてあげるというのが必要です。基本的には、何か困難にぶつかった時にいろんな人とのやりとりがあって、解決しながら成長できるサイトが一番良いでしょう。安心できる自分の居場所的な部分と、チャレンジして新しい関わりを持っていこうというサイトがあると良い。チャレンジする部分のサイトについては研究して、どうやって運営すれば良いのかを議論して頂いきたいですね。

ネット上の議論から現実の社会に向き合えるような取り組みがあれば良いと思います。千葉市では、こどものまちCBTというのを作っていまして、子どもの市長が統治し、イベント等を運営しているんです。この普段のやりとりはネットを介したものです。

このような現実社会とも接点があるような場がサイトにあり、イベント、福祉の活動をしたり、課題があって動いていく、というようなリアルな取組みが増えても良いのではないでしょうか。そういうものであれば、大人も目くじら立てずに社会に良いことやっているんだから応援していこうというようになると思いますよね。今まで、子どもは、ネット上の交流は目的自体が交流であるような使い方をしていたような気がします。もっと、社会のために交流して社会に影響を与えるようなことが出てきても良いと思います。大人からそういった方向に向かわせるのか、サイト運営側が提案するのか分からないんですが。

ケータイ小説がブレイクした話というのは、このヒントになると思います。ケータイ小説のように、ネットから出てきてブレイクするものは、まだ多くないですけれど、音楽好きな若者は多いわけですし、国際支援するような音楽もあるかもしれないと、いろいろな可能性はあります。現実社会と関わってチャレンジングなことをしていくというのは夢としてありますね。

研究者を志す人に対しては、まずはそういった人が増えてほしいということですね。次世代育成を考えると、教育学というのは非常に重要なんですが、人材難だと思いますね、現在、教育学をやっている人には、刺激的な発言だと思いますけど。今までの学校教育に不満を持って批判したいという人も教育学の道に入ってもらい、多様で活発な議論がしたいですね。

ネット上でいろんな人とつながって、むしろ、そちらで学校と違う教育についてを教えてもらった人材が出てきても良いですし、これまでの学校が嫌いな人に教育学に参入してもらい、学校という場と違う対象について研究しても良いと思うんです。多様な人が来て、次世代育成のための教育者が増えると良いですよね。

実は、教育学は他の学問よりも参入障壁が低いと思いますね。ですので、研究者として頑張りたいという人は教育学を視野に入れて頂いて、現実社会とつながった教育学をやっていってほしいですね。もしかしたら教育学者が現実社会とのつなぎになるかもしれません。

大学側も教員養成の枠、またそれ以外の枠を増やし学校の外にも目を向けていける教育学者を養成できるような受け皿になってほしいですね。

今、大学院を出て教育学者になる人が少なく、現場の教師だった人が2年ほど、大学院に行って大学に務める場合が多いんですね。悪いことではないとは思うんですが、それでは単に現状の学校教育の再生産を行っているだけですよね。もちろん、現場を知っている人は必要です。ただ、そういった人ばかりが研究者となっていくのでしたら大学が研究機関の大学として機能しないんじゃないですかね。

やはり、新しい考えを持った教育学を研究する人が出てきてほしいですね。

—本日はお忙しい中、ありがとうございました。

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