子どもと携帯電話、インターネットメディアに関しては、現在、様々な議論がなされている。これまでもテレビやゲームなど子どもとメディアの関係が注目された時代があった。子どもを対象とし、長年調査を行ってきた子ども調査研究所主任研究員の近藤純生氏に社団法人日本インターネットプロバイダー協会事務局長亀田武嗣氏がインタビューを行った。

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近藤純夫(こんどうすみお)氏 経歴
 1943年東京生まれ。東京大学教育学部卒業後、同大大学院博士課程中退。教育社会学専攻。 1967年まで、川崎市立御幸中学校講師。1970年より、子ども調査研究所にて、幼児・子ども・若者対象の調査・研究に従事。インタビューは年間100グループ以上。最近は、アメリカ、アフリカなど、海外の子ども事情にも関心をもって取材を行っている。現在、同研究所主任研究員。
 主な著書に、『子どもがいる』(教育出版)、『近頃子ども事情:(筑摩書房)、『子どもの遊び』(金子書房=共著)、『楽園(ペポニ)…ケニア人から日本人へのメッセージ』(PHP研究所=P.オルワとの共著)など  
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 久しぶりに会った近藤さん、以前と変わらずぶっ飛んだファッションだった。腰が痛いと言いながらも、こちらの稚拙な質問を丁寧に受け止めてくれた。

●メディアは、子ども達に影響を与えてきたのだろうか?今回の取材で一番話を訊きたかったテーマ。 「メディアと影響」、まずこのテーマを近藤さんに訊いてみた。

近藤:10年ぐらい前に 日本性教育協会の調査協力の依頼があってね、    
 当時はいかがわしいマンガが氾濫しているから性犯罪が増加したと言われていたんだ。巷の大人達は、そんなマンガは取り締まるべきだと騒いでね。セックスや大人の常識を逸脱した若者風俗をテーマにしたマンガを、子どもの頃から見せたら大変なことになるからって。性犯罪はそういうマンガが影響するから増えたのだとね。でもね、そんなの調査するまでもなく、関係は、なかったの。
 考え方として、「こういうものがあるから、子どもがどうのこうの」という理論は、子どもが言うのではなく、大人が言うことでしょう。「劣情を催す」、「子どもにこんなものを与えたら大変だ」とか。大人は自分の発想で考えるからね。エッチなマンガを見て、こんなの子どもにみせたら、やりたくなっちゃうだろうって、思うわけ。ベッドがあったらやりたくなるなんて、大人だけの発想だもの。子どもはそんなこと考えないよ。
  新しいメディアに接して驚く大人と、すぐに受け入れる子どもの考えることは、常に違う。
  だいたいメディアって、影響を与えるものじゃないよね。メディアって通り道だもん。そのメディアによって何を得るのか?メディアによって何を伝えるのか?何が伝わるのか?それが問題だから。


●いきなり軽くはずされた。確かにそうなのだ。メディア、メディアン、中間。人と人の間に介在するのがメディアだから。


●でも、子どもは、何かに影響されているはず。いいにつけ、悪いにつけ、様々なことを身につけて成長している。それは?

近藤:子どもは、何にでも影響を与えられたいものなの。赤ちゃんは何も知らない、そこから始まり、知ることによって大人になっていく。でも子どもは興味の有ることは身につけるけど、興味のない事は身に付けない。
 それが社会化(Socialization)と呼ばれているものだよね。 社会の一員になるために、ものを身につけていくこと。これは教わらなくても、身につけていく。
 もうひとつ教育ってのがあるでしょう。教育(education)は、大人が次の世代に影響を与えるために、プログラムを組んで意図的に教えること。だから、教えていいこと(教えたいこと)と、教えてはいけないこと(知らせたくないこと)がある。これはあくまでも大人(伝える側)の都合で伝達していく作業なわけ。
 世の中で生きていく子ども達は、社会の一員になるために、学校教育に接する前から社会化されていく。自分にとって必要なことはどんどん身につけていく。教育は、これは伝えたくない、これは伝えたいと、国や家庭が決めているものだよね。学校の授業がそんなに好きな子どもばかりじゃない。むしろ嫌いな子どもの方が多いでしょう。先生がいくら、これは大切なことだから覚えなさいと一生懸命教えても、興味の無いことは、身につけない。小学校や中学校で教えられたことを全て身につけている子どもは、皆無に等しいと思う。分母の違う分数の計算なんて、大人になって一度もしたことないよ。
 しかし、大人が「絶対に危険だ、興味を持ってはいけない、それは子どもには早い・・」と、子どもに注意する、たとえばエッチな情報なんかに関して、子ども達は既に知っているんだよね。だって、それは興味があるから。
 よい子の遊び場なんて、ちっとも面白くないでしょう。ブランコや滑り台なんて幼児の遊び道具だものね。柵で囲まれて、「入るな!危険!」 と書いてある場所に、こっそり入って遊ぶのが面白いんだから。それは昔も今も変わらないでしょう。
 「こういうものを子どもに与えるから、こういう影響が出てくる」
 「子ども達をこのように教育しなくてはいけない」という発想は、子どもと社会を間違って見ていると思うんだ。
 子どもを取り巻く社会、環境が、子どもが身につけるべきものを用意する。その中で子どもは、自ら身につけるものを選択して成長していく。
 「なになにの影響は・・・」という言葉は、何かを教えるときに、このカリキュラムと、あのカリキュラムとを比較して、どちらがいい影響を与えるのかという事でしょう。「いい影響」というのも、大人にとって好ましい影響って意味だよね。
 だからインターネットがどのような影響を子どもに与えるかって聞かれたら、インターネットは子どもに影響なんて与えていませんと答えるしかないよ。インターネットはメディアなのだから。

●自分が子どもだった時、どうだったか?親が隠そうとしている情報は、何故か、どこからか手に入れていた。誰かが入手した情報が、口コミで伝わってきた。そしてそんな情報を誰かに伝えていた。そしてそれが親にばれた時、怒られた。学校で先生にげんこつを喰らった。


●子どもに携帯電話を持たせると、ろくな事がない。危険にさらされる。だから携帯電話を子どもから取り上げよう。そんな考えや動きがある。 それってどうなの?


 近藤:メディアは道具だから、子どもがメディアを利用して犯罪を起こすことは、そりゃあるでしょう。 でもそれって、ナイフと同じだよ。ナイフという道具が有れば、そのナイフで人を刺すかも知れないってこと。
 昭和35年(1960)、当時の社会党委員長、浅沼稲二郎氏が山口二矢(やまぐちおとや)に刺殺されたテロ事件があったでしょう。あの時、刃物の問題が持ち上がった。山口二矢は当時17歳、未成年だったんだね。その時の世論は、未成年者の身の回りに刃物が溢れているから、簡単に手にはいるからこのような事件が起きるのだとなったの。だから刃物を取り上げるべきだと。大騒ぎになって「危険」なナイフを子ども達から取り上げた。
 あの事件以来子ども達からナイフが取り上げられ、が肥後守(小型ナイフ)で鉛筆を削らなくなり、それで鉛筆削りが普及したんだ。電気鉛筆削りとか、いっぱい売られるようになったの。
 そうしたら、それからしばらくして、今の子どもは、鉛筆削りを使うから手先が不器用だとなった。鉛筆削りが子ども達を不器用にしたから、昔のように肥後守で鉛筆を削らせよう運動が1970年後半から湧き上がったわけ。いずれも同じ大人の“教育的配慮”でね。
 これは典型的な話だよね。大人の都合で180度変わる。最初は、危険だからという理由でナイフを取り上げて、次にそれじゃ手先が不器用になるからナイフを使いなさいってね・・・。
 ナイフがあるから、未成年者が人殺しをする。だから子どもの回りから、ナイフや包丁を取り上げてしまえという考え方。これって、携帯電話を子どもが持っているとろくな事が無い、子どもがそれを使って悪さをするから禁止しようっていうのと、あんまり変わらないね。50年前と同じ様なものだね。
 道具というのは、悪さも出来るし、そうでない事も出来る。使い方次第だよ。そんなのあたりまえのことじゃない。
 建前で言うと、学校では携帯電話を禁止している。だけど子ども達は携帯電話持ちたがっているよね。道具として携帯電話は、今の子ども達にとって必要なものだとおもうよ。塾へ行ったり、遊びに行ったりしたときに、今時の治安を考えると、とても必要な道具。まあ学校が携帯電話を許すようになった時は、携帯電話が廃れている時だと思うけどね。
 どんな流行でも、学校が許可をする時は、もうすたれている時。
 大人が子どもを守るために何かをしてやったり、守ってやる必要なんて、本来は無いんだ。子どもは無邪気、純心だと思うのは、大人の幻想だよ。大人に知られたらヤバイ事なんてさあ、もうとっくにみんな知っているんだから。

次号に続く

(社団法人日本インターネットプロバイダー協会 事務局長 亀田武嗣)