●子ども達は、携帯を便利に使いこなしている。しかし大人達は、子どもに携帯を持たせるべきかどうか騒いでいる。大人達はどうしてこんなに騒いでいるのだろうか?
近藤:それはさ、親たちが最近騒ぐネタが無くなってきたからじゃないかなあ。1970年頃は、赤塚不二夫の「おそ松くん」は見てはいけない、永井豪の「ハレンチ学園」はけしからんと、マンガが槍玉にあがったのを覚えているよね。
そして、その次はテレビ。「八時だよ全員集合」。加藤茶の「チョットだけよ」は、ダメだ。「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!」伊東四朗と小松政夫の「電線音頭」はくだらないと、大人は騒いでいた。そんな風にPTAが禁止していた番組が結構あった時代だね。
どうして、大人がそうやって子どもは見ては行けないと言っていたのか?それはさあ、マンガにしてもテレビ番組にしても、そういうのって子ども達に絶大な人気があったの。だけど大人はくだらないとか、けしからんって見なかった番組。子どもは夢中になっているけど、大人にはおもしろさが理解できない番組。そういうのは、大人がけしからんと騒ぐネタになりやすいわけだ。
ところが今の大人、今の子ども達の親世代は、そんなマンガやテレビで育ってきた世代でしょう。「ハレンチ学園」を大人に隠れて見ていた子どもが、もう40代、50代になっているわけ。セーラームーンで育った世代が今や小学生の母親になっている。
だから、今の母親父親は、子ども達と同じ様なもので育ってきたわけね。「昔は・・・」なんて今はもう無いの。
あの頃は、仮面ライダーV3だったのが今は仮面ライダーディケイドになっているだけの違い。昔夢中になっていたから、ウルトラマンでも、仮面ライダーでも、父親の方が詳しかったりするんだよね。キャンディキャンディ、セーラームーンが今は、プリキュアになっているだけじゃない。
だからマンガやテレビで大騒ぎするってことは、あんまり無くなってきたんだね。子どもと一緒に大人も楽しんじゃっているから、けしからんとは言わない。
携帯電話は、いまの親たちが子どもの頃無かった道具。自分が子どもの頃に使った事がないものだから。だから子どもに持たす持たさないって騒ぐネタになるんじゃないかね。
自分が子供の頃に携帯電話がなかったから、ひがんでいるんじゃないの。自分が子供だったら、絶対使っているよね。だって便利だもん。
自分が子供の頃に無かったもの、体験していないものは、イメージが出来ない。子どもがこれを使ったら、こんなに楽しいのに、おもしろく使えるのにってイマジネーションが無いから、禁止することしか思いつかないんだろうね。
自分が便利に使っているものは、子どもだったらもっと便利に使いこなせるんだよね。
●もし、今、2010年、自分が小学生だったら・・・中学生だったら・・・、携帯電話とどのようにつきあっているか?それは想像の域を出ないが、きっと夢中になって使っていることだろう。そして親に怒られ、学校で先生に取り上げられ・・・それでも手放さずに使うだろう。防水の携帯電話だと、風呂でもメールが出来るから欲しい・・・なんて言いながら。
近藤:道具はどんどん便利になるし無くならない。便利になっていくことは、いいことだもの。使う人間がどうやって使っていくか、そのための教育は大切だけどね。
道具を取り上げると言うことは、悪口言うから、言葉を使うなというのと同じだよね。いじめるから、手足を使うな、喋るな、授業に関係有ることしか喋っちゃダメです、それっておかしいよね。
テレビは受け身だけで、本を読む人は考える。ラジオは創造力を伸ばすなんて言うけど、それは不便だっていうだけの話。
便利な道具を使うなと子どもに言うならば、大人も、便利な洗濯機をやめて、洗濯板で洗濯をし、炭火竈で煮炊きをすればとなる。そんなの余裕のある大金持ちじゃないと出来ない時代だけどね。
●携帯電話と子ども、インターネットの影響。でも、本来はまず今の子どものことを勉強しないと話が始まらない。基礎データを持たずに、経験や推測で物を言ったり決めるのはおかしい。だからきちんと近藤さんに「子ども文化」の話を訊いた。
近藤:子どもって、だいたい上の年齢を見て育つの。背伸びをする。リカちゃん人形を開発した時ね、リカちゃんの設定は小学5年生の「香山リカ」だった。1967年リカちゃん人形が発売された当時、リカちゃん人形で遊んでいたのは小学五年生が中心だった。今、リカちゃん人形で遊ぶのは、幼稚園の女の子。仮面ライダーも始まった当初は小学五年生の男の子が見ていた番組だったんだけど、今は幼稚園児が見る番組。小学校に入学したら、仮面ライダーは幼稚だとか言って見なくなるの。
プリキュアも幼稚園の女の子の遊び。子ども達はそうやって、いつも上を上を見て育ってきているから、おもちゃやテレビ番組など、子ども文化財の対象年齢はどんどん低年齢化していったんだよね。
●リカちゃんも仮面ライダーも、今時幼児のコンテンツなのか・・・。小学校高学年向けのコンテンツとして開発されてきたものが、時代を経ることにより幼児向けのコンテンツとなる。
近藤:ところが80年代頃になって、この傾向が変わりだした。DCブランドが流行しだした。そして、女子小中学生までも、大人と同じ様なブランド品を持つようになってきたんだよ。83年になると、ディズニーランドとファミコンが出現してきたのね。ファミコンが家庭のテレビに接続して遊べる様になって、大人もファミコンで遊ぶようになったよね。今では当たり前のように家族全員がwiiで遊んでいる。大人と子どもの境界が無くなってきた。
ディズニーランドは、子ども達が家族と一緒に行って遊ぶ、アミューズメントパークだったんだけど、次第に恋人達が遊びに行くデートスポットになっていったでしょう。
そうなると、高校生から20代、30代まで子どもと関係なくディズニーランドに行き出すわけ。大人も子どもも、同じ様に楽しむようになってしまったのね。いつまでたっても卒業しないわけね。
そう考えるとね、今の親世代は、子どもを「卒業」していないってことになる。
昔は、マンガは小学校で終わり、半ズボンも小学校でお終い。中学に入ったら、長ズボンを穿いて、本を読む。マンガは小学生のもので、それを卒業するのが大人になる証だった。でも変わってきた。卒業していないじゃない。ずっとマンガ読んでいたりするでしょう。
●子どもと大人の境界線がどんどん薄れていく。それは実感していることだ。大人のコンテンツ、子どものコンテンツ、昔は明確に分かれていたのも実感している。どうしてそうなってきたのだろうか・・・。
近藤:それは1955年から始まった高度成長が終わり、変化のスピードが無くなってしまったからだと思っているの。
戦後、高度成長時代って、すごいスピードで色々な物が変化したわけ。たとえばね、井戸水と洗濯板で洗い物をしていたのが、電気洗濯機になったでしょう。ホウキでゴミを掃いていたのが、電気掃除機になった。氷を買って冷やしていた冷蔵庫が、電気冷蔵庫になった。練炭や薪に火を付けて竈で焚いていた御飯が、電気炊飯器のスイッチ一つで炊けるようになった。これってすごい変化だよね。
井戸水を汲んでお米を研いで薪の火を竈にくべて御飯を炊くのって、弥生式時代から続いてきた方法でしょう。それが日本って昭和30年代まで続いていたのが1960年代になって、一挙に電気炊飯器に変わったんだ。
1960年代の日本の家庭には、弥生式時代の人間と現代の人間が同居していたんだよ。1970年代までの家庭を見ると、親は戦争前後育ち(弥生式時代)で、子どもは高度成長時代生まれ(現代人)という構図だったの。だから、昔はこうだった、それに比べて、今はこうだと、親は子どもにやたらと言えた。それは以前と様変わりしたし、その変化があまりにも急速だったから、そう言えたんだよ。
高度成長が70年代末、石油ショックで一段落して、豊かな時代は一旦終わった。そして、そこからの時代は、せいぜいテレビが大きくなったとか、その程度の変化しか起こらなくなった。
70年代後半から、80年代にかけて、豊かな時代が終わると、世の中の意識も変わってきたね。次から次へと、いいものを求めるのではなく、今のものをいかに豊かに使いこなすかがテーマになってきた。そして弥生人は老人となり、現代人の親子が家庭を構成する時代になったのね。そして大人と子どもの差がどんどん無くなってきたんだ。
次号に続く
(社団法人日本インターネットプロバイダー協会 事務局長 亀田武嗣)
