●20歳の息子、50歳の自分、そして80歳の両親。そう、自分の両親は弥生人。自分はかろうじて現代人。そして息子は真性の現代人。近藤さんの言葉を自分に当てはめて聞いていた。両親はたしかに弥生人だったと。
●卒業しなくなった社会。コンテンツの低年齢化。そうなると、子ども文化はどうなってしまったのだろうか?
近藤:今ね、テレビで、子ども番組というジャンルは存在していないんだ。子どもはみんな見ていた番組って、昔はあったでしょう。おはよう子どもショー、ロンパールームなんてね。そういう子ども番組は、あくまで子ども向けで、大人は見ていなかった。子どもと大人は違う番組を見ていたんだ。
ところが、今、男の子がみんな見ているのは、ヘキサゴンやIQサプリみたいなバラエティ番組なんだよ。家中で見る、ファミリーバラエティ番組が子ども達の番組でもあるの。ちなみに、女の子が見ている番組は、ドラマだね。フジテレビの月9枠なんて、小学3年生女子から母親までが視聴者の中心。小学3年生の娘とその母親は、同じ感覚で「ああ、あの二人、出来ているんだよね~」なんてお喋りしながら恋愛ドラマを見ているの。
小学3年生になると、分かると思うけど、男子と女子の発達にかなり差が出てくるよね。男の子より女の子の方が、身体の発達が性的に早いでしょう。身体発達の速度が違うと、考え方も違ってくる。
小学3年生の女の子の話題の定番は、「恋バナ」が中心ね。一方、同世代の男の子は、「おんななんか大嫌いだぁ!」と、無邪気に騒いでゲームやカードで遊んでいるわけ。
子ども文化は昔と違って、幼稚園を卒業するともう無いんだよ。
幼稚園(幼児)文化はずるずる引きずっても、小学2年生から3年生の初め頃まで。2年から3年になるときに、クラス替えがある。この時が幼稚園(幼児)文化の終焉の時期になるのね。仮面ライダーもプリキュアも「見てはいけないもの」になる。大人になる、社会化する、成長するために、見てはいけないものと自覚するわけ。
幼児文化は、親管理の文化でしょう。親に依存して生活する事が基本の文化。子どもにとっても、親管理って楽なだよね。お腹が空いたら何か食べさせてくれるし、オシッコと叫べば、トイレに連れて行ってくれる。子どもが保護者を必要としているから、幼稚園(幼児)文化が成立するんだ。
小学校に入ると、親から自立するようになる。親が側にいない時間を我慢しなくてはならなくなる。「一人でできるもん」がテーマになる。
それまでは、親が与えてくれたもので満足していた幼児がね、自分の欲しい物を「ねだる」様になってくる。「XXX君が持っているから、あれ欲しい!」って。Tシャツの絵柄も自分で選ぶようようになる。
女の子は、幼児からいきなり女になるの。興味の対象が、アンパンマンやキティちゃんから、いきなりキムタクのドラマになる。今や少女時代は無くなってしまったの。
中学校に入ると、男の子は性的に目覚めてきて、やっと異性を意識し始める。でもその頃になると、女子はもう同年代の男子を相手にしなくなっちゃう。そこで男の子は、一部のイケメン、モテモテを除いて、男女関係に関して早速とリタイアしてしまうわけ。
リタイアした男子(モテナイ男子)が何をするかと言えば、「ぼくは、モテナイけど、勉強でガンバッテ尊敬されよう!」、「スポーツで人気者になろう!」、「家でマンガを読んで、マンガを描いて・・・」、「パソコンを使いこなして・・・」と、なっていく。
これって全てオタクだよね。勉強オタク、スポーツオタク、マンガオタク、ITオタク・・・。釣りオタクもあれば、鉄道オタク、自動車オタクもあるね。
8割以上の男子は、早々と女子への性的な関心はリタイアして、多様化したオタクの道に進んでいくの。やがて草食系男子への道に・・・。
女の子はね、私モテて当然、私可愛いでしょうって。中学校までの女子は、おそらく天下無敵だろうね。渋谷の街中で立っていれば、誰かが声を掛けてくれる。そう、自分は可愛いから・・・。
●女の子は、少女時代をはしょって大人になっていく。男の子は、中途半端な少年時代を過ごし、オタクの道をまっしぐらに進んでいく。
なるほどなあ。だとすると、子どもに何を教えればいいのだろうか?そこが気になる。卒業しないで大人になる社会の中で、便利な道具を持つ子どもに、大人が教えなくてはいけない事は何?
近藤:親に内緒で、友達同士で話をするのが楽しい訳じゃない。ひそひそ話ね。大人に知られたら怒られちゃうような話を友達同士でするんだよね。
その内緒話をネットに書いてしまう子どもってのが、ちょっと問題かも知れないなあ。プライバシーとオープンの区別があまりついていないのだろうね。
昔から子ども同士の遊びというのは、親に内緒のちょっと悪いことが当たり前だったよね。友達とひそひそ話でしゃべる、ちょっとエッチな話が面白いんだよね。 大声で喋って笑う話なんて、そんなに面白くないもの。
危険だからやってはいけない爆竹とか、危険だから行っては行けませんって言われる池や沼、大人に聞かれたら怒られる話、それが今も昔も、子どもの楽しみなの。
それが携帯メールのやり取りや、ブログ、掲示板を使えば、親や先生に見つかってしまう。面白いけど、人に知られちゃまずい話をネットに書くと、親や先生にばれてしまうってのを、まだよく理解できていない気がするの。
だから「ヤバイ秘密は、ネットに書かない」これを教えないといけないね。 「ネットに書いたら、バレちゃうんだから、バレるような事はするなよ!」と教えた方がいいと思う。
書き込みしている時は、大人が見ているという雰囲気が無いから油断するのかもね。 あいつになら教えてもいいって、一応本人は秘密の形を取っているんだろうけど、ネットに書いたら見られたくない人にも見られちゃうも。ばれてしまったら、ひそひそ話じゃなくなってしまう。ばれたら問題になってしまう。「ここだけの話」がここだけでなくなってしまうからね。
ばれ方も、昔は徐々にばれていったのが、ネットに書いたら一挙にばれてしまうから、騒ぎが大きくなる。
インフォーマルな人間関係が、インフォーマル風な人間関係となって、広まってしまうのが、ネットの世界。親友同士のひそひそ話が、ネットでは世界中に広まってしまうという事を理解させないとダメだね。
●便利な道具があろうがなかろうが、ないしょ話は、知られてはいけない。いずれバレるにしても、ばれ方がある。正しいないしょ話のお作法を覚えなさい。でも、学校じゃこれって教えにくいだろうなあ・・・。何処で誰が教えればいいのか?考えないと。
携帯電話は道具、しかも便利な道具。しかし 道具は道具。
近藤:携帯電話によって、たとえばイジメが加速されたかと言えば、それはあると思う。なにせ便利な道具だから。
昔はガキ大将が居て、仕切っていたと言うけれど、昔からガキ大将なんて居なかったんだ。大将は一人いればいいんだもの。今は、誰かが威張っていて、それに従うという関係は少ない。むしろみんな同じ。それに付いてこない子が、付き合いが悪いのがいじめられる。
だから、誰かが誰かをいじめるのではなく、全員が一人をのけ者にする構図になっているよね。それは大人社会の差別と同じでしょう。普通ではない、同じではないという理由で、付き合いをしない。そんな大人社会が投影されている。
勉強が出来ない、身体が弱くてとろい、愚図、汚い、気持ち悪いから差別する。集団共通の問題だね。携帯がイジメを加速する道具だという前に、イジメが起きる構造を何とかしないとどうしようもないでしょう。
●もう自分の子どもは大きくなったから関係ないけれど、世の中の親御さんは、子どもが携帯電話を長時間使うことによって、学習時間が短くなると憂いている。
近藤:元々、学習は嫌いなんだから、何があっても、学習時間は短くなるものなの。だからどのようにすれば学習が面白くなるか工夫をする必要があるんだけど。
興味を持ってものを知ることは面白いし、楽しいでしょう。だから子どもは物を知ることは嫌いじゃない。
でもさあ、学習は大人が作った教材を覚えろというものでしょう。そんなのだいたいつまらない。
つまらないからテレビがあったら、テレビ、ゲームがあったらゲーム、携帯電話があったら携帯電話に行くの。それは当たり前でしょう。
ゲームや携帯電話が悪いのではなく、学習がつまらないからだけのこと。授業がつまらなければ、他のことをするのが子どもなんだよ。
●そしてもうひとつ、携帯電話でコミュニケーションをしていると、対面コミュニケーション力が低下する。これは由々しき問題であると。
近藤:これは70年代から言われていることで、今に始まったことじゃないよ。70年代になって地域コミュニティが崩壊していった。それと共に社会は対面コミュニケーションを避けるようになってきた。
お隣に味噌醤油を借りに行くと、何かと面倒くさい。隣の人に借りると、そのお礼をしなくちゃならない。隣の人が困ったら、無視できない。それが負い目となり、うっとうしくなる。それを避けだしたのが70年代の日本。インターネットとか携帯とかメールの出現と関係なく、日本の社会はそうなってきたんだ。
戦前までは一次産業、特に農業で食べていたから、仲が悪くても我慢する、折り合いを付ける、根回しをする、そうやって地域コミュニティの中で生きてきた。だってその場所を離れたら、生活できなくなるからね。
その地域で上手に生きていく術を心得ていないと生きていけなかった。農耕民族ってそうだよね。狩猟民族だったら喧嘩して、仲間割れしてその場所から離れても食べて行ける。
日本は急速に農耕社会から狩猟社会的な近代的な、サラリーマン社会に変わってきた。所属している組織で我慢しなくても、転職すればいい。そして近所と喧嘩したら引っ越せばよくなった。
そういう社会になったから、コンビニが生まれたのだろうし、ひと言も喋らずに買い物が出来るスーパーが急速に増えていったんでしょう。
社会自体が面倒な対面コミュニケーションから解放されたがっているんだもの。
人に道を聞かない、駅員に電車の時刻を聞かない、それでも今は自分で調べられるからね。パソコンでも携帯でも。他人との対面コミュニケーションを面倒だと感じる人が増えたから。
飲み屋だって、隣の人と喋るのが鬱陶しいからって、個室風の仕切りのある居酒屋が人気だもの。
だから、携帯電話は時代に適合した便利な道具として急速に普及したんだよね。
地域コミュニティが崩壊した1970年代以降に生まれた親と子どもの家庭で、対面コミュニケーションがどうこうなんて言う親自体が、対面コミュニケーションを面倒だと思っている人たちなんだよ。
携帯がどうこうよりも、社会が対面コミュニケーションの便利さを忘れてしまい、鬱陶しいと感じている事を考えなおさないと。大人が面倒だって感じている事を子どもにやらそうとするのは無理だよね。子どもはそうした大人社会の中で社会化されているのだから。
●メディア、道具・・・インターネットも携帯電話もそれ自身がどうこうという問題ではない。重要なのはメディアの中を通る情報、道具を使う人間の心。
社会全体の構造的な問題を変える事は一朝一夕には出来ない。それにそんな大きなテーマを敵に回しても仕方がない。
道具が良くないと言って、道具のせいにするのはとても簡単なことだ。簡単だから文句が言いやすい。
でも、道具を取り上げる、規制する事が、どれだけ社会のため、子どものために有益なのか?もう一度考えたい。
近藤:その時代に対応していこうというのが、動物の本能だからね。子どもたちは新しい道具をあっという間に、使いこなしてしまう。それが社会化だよ。
現代人でも、ネアンデルタール人でも、生まれたときは、それ程変わりが無いのね。それがわずか3年ぐらいの間に、物凄い違いが生まれてくる。
それは生まれた社会の環境によるもの。その環境に適合しようとする、社会化するの。そのくらい子どもって環境に影響されるとも言えるね。環境次第で、ネアンデルタール人と現代人の違いになってしまうんだよ。
●団塊の世代は、小学校の時にマンガと出会ってしまった。 それが現代っ子の始まり。
自分の世代は テレビと出会って本を読まない、一億総白痴化世代と言われた。
そして今、ネットと携帯に出会った世代が成長していく。
「昔はネえ、学校に携帯電話を持っていったら、怒られて取り上げられたんだよ。おとなに禁止されていたんだよ」
この号 終了
(社団法人日本インターネットプロバイダー協会 事務局長 亀田武嗣)

