■パソコン通信大手ニフティサーブでの自律について

 当時はどういう状況であったのか、パソコン通信大手のニフティサーブを運営していた、ニフティ株式会社 ISP事業本部 副本部長の伊藤克己氏、コーポレート本部副本部長 兼 法務部長 兼会活動推進室長の丸橋透氏にお話を伺った。

―サービス開始当初のフォーラム数や、管理方法はどのようにされていたかなど、当時の状況を教えてください。

伊藤:サービス開始当初は47のフォーラムがあり、1人1つずつ、47人の管理者がおりました。私が、入社したのは社名もエヌ・アイ・エフだった88年頃でしたが、その頃、フォーラムの数は90を超えて100個目が出来るか出来ないかという時期でした。最終的には(ピーク時に)およそ700代後半から800代ぐらいにはなったと思います。その時のシスオペの数は500人ぐらいでした。1人で関連のある複数のフォーラムを担当することもありましたので、フォーラムの数よりシスオペの人数の方が少ないです。

―管理が放棄されていたフォーラムもあったのでしょうか?

伊藤:管理が放棄されていたフォーラムは1割なかったと思いますよ。ユーザーのアクセスが少ないフォーラムに関しては、ニフティからシスオペに聞いてみたり、シスオペにコンタクトがとれなければシスオペを替えていたりしました。

―ユーザーのアクセスが少ないとは?

伊藤:テーマ的に参加する人が少ないということですね。もともと。企画書を提出してもらってお話を伺い、それならば規模がどのくらいになるだろうといったことを確認し、契約をしてから運営をしてもらっていました。シスオペは自分の意図を持って運営していましたね。

―いわゆるレンタル掲示板の運営方法とは全く違うんですね。

伊藤:全然違いますね。

―盛り上がっているフォーラムの傾向は?

伊藤:文化系のものよりもアニメ、ゲーム、コンピュータ関係が活発でした。いわゆるおたくの人たちがも多く、テクニカルに明るい人たちが集まっているフォーラムが活発でした。もちろん本関係、映画など娯楽に関しても人は集まってきました。
丸橋:活発ということに関しては、情報提供が活発なところが活発かと言えるかというの「議論」もあるんです。お役立ちの紹介だけで議論が活発化していないフォーラムもありましたし。

―インターネットの利用者とパソコン利用者が重なったのは、96、97年頃だったと思っていますが、そのころの書き込み数はどの程度でしたか?

伊藤:96年くらいから利用者が重複し始めた感じでしたね。パソコン通信の時の書き込み数はわかりません。推測の域を出ませんが、フォーラムの数は96年当時で700近くあり、フォーラム数の数百倍単位の書き込みがあったと思われます。フォーラム数はその後は、あまり増えませんでしたね。

―いわゆる“パトロール”はしていなかったんですか?

伊藤:もちろんシスオペやサブシス(シスオペのサブ、副管理人)は自分達のフォーラムの発言は全部読んでいただろうと思いますけども、ニフティはフォーラムの議論については全部読んでいませんでしたし、パトロールということもしていませんでした。ニフティサーブ内にパブリックの掲示板があり、社内でそこだけはモニタリングをしていました。

―フォーラムの内容が商用利用されてしまうなど、商用での書き込みについてはどのような対応をとられていましたか?

伊藤:商用利用は原則禁止していました。車好きの人たちのフォーラムで車種やスペックの話をしているのは普通でしたからね(判断が難しいでしょう)。

次号に続く

(株式会社ライブドア メディア事業部 マネージャー カスタマーサポートセンター長 高橋誠)