石川県の携帯所持規制努力義務の原点を追って、同県石川郡野々市町にたどり着いた。ここは、平成15年にはすでに小中学生に対して携帯不所持運動「プロジェクトK」を町ぐるみで展開しており、石川県の条例改正にも大きな影響を与えた町である。インターネット環境整備法が検討された時には、全国ネットのニュースでもこの運動が報道され、石川県のみならず他県からも注目が集まった。運動の主体は、“ののいちっ子を育てる”町民会議である。

 しかしこの運動の経緯や実態、あるいは野々市町の立地条件などは殆ど報道されておらず、過剰な規制をいち早く実行した田舎町という汚名を着せられることとなった。ここでは少し筆を割いて、野々市町の立地について述べてみたい。
 
 その立地は巨大都市金沢に隣接、というよりも、金沢市自体が近隣の町村を合併・吸収して肥大化したため、金沢市にめり込むような格好となっている。背後はこれもまた広大な白山市が迫っており、野々市町は2つの市に圧迫されたような状態である。
この土地には、縄文時代の集落遺跡「御経塚遺跡」があり、古代から開けていたことを物語る。鎌倉時代よりこの地の守護となった富樫氏が館を構え、金沢が現在のような行政機能を持つ以前は、このあたりが政治・経済の中心であったという。

 町内には山らしい山もなく、潤沢に平地が広がる。町の面積自体はそう広くはないが、平成21年には人口が5万人を突破、人口密度は本州日本海側で最大、県集計の推計人口では全国4位となる、過密型ベッドタウンである。

 地場産業は特にないが、事業税などの条件が金沢市と比較して安いため、大型店舗や工場の進出が相次いだ。金沢市から合併の話は何度もあるが、すべて断わっている。平成23年には、単独市政に移行する予定だという。
 
 JR金沢駅からわずか2駅の野々市駅で降り、タクシーで野々市町役場に向かう道すがら、我々が想像した北陸の田園風景はまったく見えない。広々とした道路の両脇に立ち並ぶ真新しい巨大店舗、ここは北陸の田舎町などではない。

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まるで米国のような開放感。奥に見える赤い建物が町役場


やがて市役所となる野々市町役場で、携帯電話を持たせない運動「プロジェクトK」の経緯と現状を、市長の粟 貴章(あわ たかあき)氏に伺った。粟氏は平成19年より現職で、前市長からプロジェクトKのバトンを渡された格好である。またプロジェクトK発足当時から活動を見守ってきた、野々市町住民生活部広報情報課 課長補佐 桝谷泰裕氏にも同席願った。

■「プロジェクトK」に至る背景

- 野々市町に暮らす方々は、どういうプロファイルなのでしょうか?

粟:今は農家が、ほとんどないですね。多数というと核家族です。共稼ぎ、子ども1人2人ぐらいですね。町の平均年齢は39歳前後と若い町なので、保育園、小学生が各一人、子どもは放課後習い事に行く感じで。そういった意味では農村ではなく、明らかに都市型ですね。農村が急速に都市化したわけですけど、まだ他に比べれば地域のつながりが残されている土壌は、なんとはなしに残っているかなと。

- 携帯不所持運動を行なっている、“ののいちっ子を育てる”町民会議についてお伺いしたいのですが。

粟:もともとはPTA・学校など教育関連の団体プラス、連合町内会という地域自治組織、交通安全会などの地域ボランティア団体などが組織して、子供たちの健全育成の取り組みをやり出したというのが最初ですね。

桝谷:町民会議は今年で発足22年、携帯電話の活動に関しては平成15年からになります。そもそも昭和62年の発足時にはモーテルが近隣に建ち始め、住民運動に取り組もうというとっかかりがあったんですね。環境浄化ということで、携帯に対する有害情報の取り組みも、必然的な流れの中でやっていたような経緯です。

- 平成15年にすでに携帯電話に対して取り組みを行ったことは、全国的に大変早いと思うんですけど、何か直接的なきっかけがあったんでしょうか?

桝谷:平成12年ごろには、県内ではすでに有害情報によって、援交が事件化したケースがありました。一方平成10年頃から我々は、ピンクチラシの撤去や、デリバリーヘルスの問題などを扱っておりまして、そういった情報が街頭チラシからネットのコンテンツに移行してきていたんですね。
また野々市町には金沢工業大学があるんですけど、大学生にとって4月というのは教科書代などを持っていることもあり、お金をたくさん持ち歩いている。そうした時に、大学生がコンビニなどで支払う様子を盗み見し、財布が膨らんでいる場合に店内から携帯電話で連絡し、路上に出た大学生を有職青年のグループのメンバーが襲う、といった犯罪などが出てきました。こういった携帯を使った事件があったもんですから、携帯電話に関して平成12年度からは勉強会を始め、15年度には所持についての運動が本格的に始まりました。
地域の小中学校の先生達が集まる連絡会議の中でも、中学校の先生から、生徒が携帯電話を持ち始めた、学校の指導だけではどうにも出来ない、という連絡があり、結局親が買うものですから、そこで活動が自然に動いていきました。
当初から持たせない方向と、適正な利用という2つの選択肢があったんですが、当時携帯の所持率は中学生で14%、小学生で5%前後でした。そこでまだ所持率が低いうちに「持たせない」方向で運動を進めようという動きになりました。
一方都市部ではすでに2割から3割に達していましたので、そこまでいくと難しいだろうという判断でした。都市部ではそのころ、既にネットいじめは具体的にありましたし、写真をとって裸の映像を公開したりだとかもありましたからね。

以下次号に続く

(一般社団法人インターネットユーザー協会 代表理事 小寺信良)