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インターネット自律史

インターネット自律史3

―プライバシーの概念や著作権侵害についての意識は今より低かったのでしょうか?

伊藤氏:基本的にはフォーラムの中はフォーラムで解決という姿勢でした。シスオペ側で対応できない場合はニフティに相談がきますが、そこまでくるとややこしいものが多かったですね。電話番号や住所などは会員自身が公開していることもありましたね。ただ、当時はもともと同じフォーラム内で仲が良い人達同士が多かったですから個人情報も教えあっていたように思います。

伊藤氏:現代思想フォーラム事件(注)のようなトラブルもありましたけど、やはり(フォーラム内を荒らすといったことは)限られた人たちの話だったんでしょうね。著作権侵害はけっこうきましたよ。フォーラムの中からではなく、「これは私が書いたものだ」などといったことが外から来ましたね。著作権侵害の話は今でも同じですけど、判断が難しいんですよ。(著作権については)逆に今よりも厳格だったと思いますよ。フォーラムの時代に、JASRACが管理する楽曲の歌詞を無断で載せた人がおりフォーラム内で(ユーザー同士が)駄目ですよということを警告していました。

注:現代思想フォーラムの会員(原告)が、他の会員(会員被告)により名誉を毀損されたとして、会員被告、シスオペおよびニフティに対して損害賠償を請求したところ、会員被告については損害賠償責任を認めたが、シスオペおよびニフティについては削除義務違反が認められないため責任が無いとした裁判(東京高等裁判所平成13年9月5日判決)

―パソコン通信のユーザーは分別のある大人が多かったために、トラブルをユーザー同士で解決していたと思っているのですが、実際はどうだったのでしょうか?

伊藤氏:シスオペが裁くまでもなく、フォーラム会員同士で解決していたと思います。またフォーラム内に未成年者がいた場合にもみんなが啓発していくというのをよく見ました。小中高校生用のフォーラムもありましたし。最終的に”悪さをする人”はフォーラムを出て行かざるを得ないような自主的な働きかけがありました。

―排除された者が新規に別のIDを取ってアクセスすることもあったのではないかと推測していますが、そのような場合どう対応されていましたか?

伊藤氏:複数のアカウントを取ること自体は可能ですが、実際にそういうことがあったかはわかりません。

丸橋氏:複数のアカウントを取ることは、今でもありえますよね。

伊藤氏:他人のIDとパスワードを使って有料コンテンツを利用し、そのIDの持ち主の課金がはねあがるというのはあったし、今もありえる話ですね。

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インターネット自律史2

■パソコン通信大手ニフティサーブでの自律について

 当時はどういう状況であったのか、パソコン通信大手のニフティサーブを運営していた、ニフティ株式会社 ISP事業本部 副本部長の伊藤克己氏、コーポレート本部副本部長 兼 法務部長 兼会活動推進室長の丸橋透氏にお話を伺った。

―サービス開始当初のフォーラム数や、管理方法はどのようにされていたかなど、当時の状況を教えてください。

伊藤:サービス開始当初は47のフォーラムがあり、1人1つずつ、47人の管理者がおりました。私が、入社したのは社名もエヌ・アイ・エフだった88年頃でしたが、その頃、フォーラムの数は90を超えて100個目が出来るか出来ないかという時期でした。最終的には(ピーク時に)およそ700代後半から800代ぐらいにはなったと思います。その時のシスオペの数は500人ぐらいでした。1人で関連のある複数のフォーラムを担当することもありましたので、フォーラムの数よりシスオペの人数の方が少ないです。

―管理が放棄されていたフォーラムもあったのでしょうか?

伊藤:管理が放棄されていたフォーラムは1割なかったと思いますよ。ユーザーのアクセスが少ないフォーラムに関しては、ニフティからシスオペに聞いてみたり、シスオペにコンタクトがとれなければシスオペを替えていたりしました。

―ユーザーのアクセスが少ないとは?

伊藤:テーマ的に参加する人が少ないということですね。もともと。企画書を提出してもらってお話を伺い、それならば規模がどのくらいになるだろうといったことを確認し、契約をしてから運営をしてもらっていました。シスオペは自分の意図を持って運営していましたね。

―いわゆるレンタル掲示板の運営方法とは全く違うんですね。

伊藤:全然違いますね。

―盛り上がっているフォーラムの傾向は?

伊藤:文化系のものよりもアニメ、ゲーム、コンピュータ関係が活発でした。いわゆるおたくの人たちがも多く、テクニカルに明るい人たちが集まっているフォーラムが活発でした。もちろん本関係、映画など娯楽に関しても人は集まってきました。
丸橋:活発ということに関しては、情報提供が活発なところが活発かと言えるかというの「議論」もあるんです。お役立ちの紹介だけで議論が活発化していないフォーラムもありましたし。

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インターネット自律史1

■ネット上の”自律史”を振り返る
 インターネット上の表現内容について、法制化する動きが強まっている。これまでの自主的な対策が不十分であり、法律を作れば健全な世界が構築できるという主張かと思われるが、果たしてそうなのだろうか。
 インターネット黎明期と比べれば、トラブルの種類が増え、人の考え方も大きく変化している。その時々の情勢を考えれば、取りうる最善の策は講じられてきたのではないだろうか。
 今、改めてインターネットの自律史を振り返り、個々の時代にどのような事件が起き、どのような風潮でどのような解決方法が取られたのか、その対策に問題はなかったのかを確認してみたい。また、一旦振り返ることで、今後対策の必要がある課題を乗り越えるヒントが導きだせればと思っている。

 勝手な分類で恐縮だが、便宜上下記に分けることにする。

 ・パソコン通信時代(1980年代後半~1997年頃)
 ・インターネット黎明期(1995年頃~1999年)
 ・ブロードバンド時代到来(2000年~2004年)
 ・コミュニティサイト発展期(2005年~2009年)

 インターネット黎明期を振り返る上で、パソコン通信時代はどのように対策が講じられていたのかを把握する必要がある。そこで、パソコン通信時代からの流れで検証してみたい。

■パソコン通信の仕組みと環境

 パソコン通信は、現在のインターネットと異なり、運営者(運営会社)間の横の繋がりがなく、個々の運営者が設置したホストコンピュータに接続した者同士で、文字による交流ができる仕組みだった。
 パソコン通信時代の後半でこそ、自動で接続するソフトが存在したので、技術的に明るくない者でも簡単に利用することができたが、パソコン通信が一般に利用され始めた1980年代後半においては、技術的な知識を持っていないと接続が易しくない状況にあり、独特の文化が醸成されていった。
 パソコン通信の世界は、運営者が直接管理するコンテンツ以外に、テーマ毎に掲示板群やチャットなどが設置され、利用者が交流できる形となっていた。一言で説明するとすれば、サークルという表現が近いのかもしれない。「テーマ毎にの掲示板群やチャットなど」をパソコン通信大手のニフティサーブでは「フォーラム」、PC-VANでは「SIG(シグ)」と呼んでいた。テーマ毎に管理者(ニフティサーブは「シスオペ」、PC-VANは「シグオペ」)が置かれ、管理者の考えでそれぞれの管理がなされていた。
 「フォーラム」や「SIG(シグ)」のジャンルには、政治経済といった真面目なテーマや、スポーツ、ホビーなどの趣味のテーマもあり、利用者が好む「フォーラム」や「SIG(シグ)」に入り、掲示板やチャットなどで交流することができた。

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